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■緊張感 ■マチエール ■最近のアート ■秋に想うこと


★アトリエからのメッセージ(7)★




05/04/04
[21]絵のスタイル
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ようやく東京にも桜が咲きましたね。私の故郷・宇和島は桜の花が咲くのが早くて、開花宣言の時によくテレビで紹介されます。今年もいちばんに咲いたようです。4月は桜の季節でもあり、卒業や入学、入社の時です。若い人たちは様々な夢を膨らませ、その中には画家になりたいと思っている方もいるでしょう。以前私は画家のスタイル(オリジナリティー)のことにふれたことがありますが、ここでもう少しこれから絵を目指す方たちのためにアドバイスをしたいと思います。

よく絵を描くことを例えて、“産み出す”とか“自分のこどものよう”だとか例えられることがありますが、そのとおりだと思います。こどもであって自分ではないのです。自分が描いたものではありますが、描き終わると自分のものではありません。ひとつの人格というものが絵にも出てくると思います。描いた後、その絵は画家の手を離れひとり歩きをするものであるとしたら、それを産み出す画家はその絵(こども)に何を背負わすかを考えなければならないと思うのです。私はこれが絵を描く上でいちばんだいじなことだと考えています。

私が考えるスタイル(オリジナリティー)というものは、みかけのシチュエーションやマチエールなどの変化などではなくて、一生涯の絵の歴史から見えてくるものがスタイルだと思うのです。そしてそれが決まればその木を少しずつ育てていけばいいと思います。私は絵を木と例えましたが、木が一夜にして大きくなるわけはありません。根が張り、幹ができ、枝が伸び、そして花が咲くのです。絵にもあなたと同じように歴史が生まれます。 私の場合は一匹の魚を描くことから始まりました。それが私の絵の扉のようなもので、木の種でした。たくさんの魚を描くことで木の根が張り、そしてネイチャ−アクアリウムの幹ができ、淡彩画の枝が伸びていきました。これからも何本かの枝を作るつもりです。

初めから完成したものを求めるのは無理があります。初めは好きなものを描く中で、何かのきっかけをつかめればいいくらいに考えるといいと思います。長い眼で見てください。80歳まで描くとしてその時どんな絵を描いているのか、20代30代ではまだ何十年も先のことですからわからないと思いますが。 私は今46歳で、80歳頃に描きたいものがぼんやりとは見えてきました。しかし私も若い時は今好きなものを描くことをいちばんに考えていて、魚ばかり描いていたので焦る必要はありません。自分の好きなものを見つけること、そして好きなものの中にこれは人がやっていないというものがあればなおいいですね。これがいちばん好きだけど人もやっているというものしかなければ、ライバルに負けないように努力するしかないですね。

私は魚を描く前は人物ばかり描いていました。特に女性を描くのが得意で自信もありましたが、やはり人物はライバルがたくさんいるのでいろいろと考え、学生時代から好きだった熱帯魚を描くことにしました。熱帯魚は世界中を見ても専門職としてはだれも描いていなかったからです。 そうして私は自然や熱帯魚をもう20年近く描いてきましたが、人間も自然の一部なので、最近人間を描いてみようという思いが自然に出てきました。自分の好きなものはどこかでつながってくるものです。いろいろと書きましたが、スタイル(オリジナリティー)は一夜にしてできるものではなく、ましてや1枚の絵で表現できるものでもありません。絵の歴史の中で見えてくるものだと思います。あなたが生きてゆく歴史と同じように。






05/01/30
[20]アート
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アートには大きく分けてふたつの方向性があると思います。ひとつは“人間の五感に叶うものすべてOK”という常に新しいもの、今までになかったものなど最先端を求めるもので、奇抜なもの、人を驚かすもの、即興や瞬間芸などの要素も含まれています。海で例えるならば表面のさざ波がたっているところです。ここは波の形のように何時も変化し、空ろいやすく時代という風に流され左右されてゆきます。画家やイラストレーター、評論家やメディアなどアートの最先端の人たちが集まっているところです。

もう一つのアートは先ほどの要素をすべて削り落とした所からなるもので、そこには”変わらない物”という岩石が生まれます。しかしそれを磨いて光らせるのは誰しもができる事ではありません。海でたとえたならその石があるのは海の底です。それはすべての海を指し、すべての人を指します。風や波に耐えて立ち続けるのにも力がいりますし、深い海をもぐりぬくのにも力がいります。どちらを選ぶにしても長く続け、成し遂げるには大変なことだと思いますが、どこの位置にいても一生涯絵を描いてゆけたならばすばらしいことだと思います。





05/01/07
[19]デッサン力
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大きく分けて絵には2通りの見方、描き方があります。ひとつは見たままを写実的に描く視覚的絵画、もうひとつは目には見えない心や感情など、様々な要素を取り入れた内面的な絵画。表現するものも絵の具に限らず、風化した木や鉄などありとあらゆるものからイメージを取り入れたり、またマルセル・デュシャンなどの実験的な材料を使った作品までそれは自由な発想による絵画で、アートの視覚的絵画からの解放でした。

どちらの絵画を描くにしてもデッサン力(見る力)が必要ですが、デッサン力というのは写実に描くことだけではありませんし、絵だけのものでもなく、書道や華道などありとあらゆるものから備わってきます。そして感情を抽象的に表現したり、様々なイメージを頭の中に写す力がデッサン力だと私は考えています。

絵を描く上で影響を受けたアーティストのスタイルをまねしてしまうことがありますが、他人が描いた表面的な絵を見るだけではなく、その中にあるイメージの本流(感性)を見なければなりません。自分のオリジナルを探す時、ほかのアーチストの絵からではなく、できれば絵以外のものから見つけてゆくといいでしょう。それは本であったり映画であったり歴史・科学・生物であったり、今まで生きてきた上でかかわってきたすべてのものを見つめてゆくことです。今は忘れてしまっていて眠っている感性を目覚めさせるような様々なアンテナを張り巡らせることです。そして源流を見つけ、それを時間を掛けて本流へと通じてゆくことです。

印象派の画家たちは日本の浮世絵に影響されましたが、浮世絵を描いた画家は誰一人もなく、本流である自然を見続けそこから新しい視覚を発見してゆきました。私たちアーティストにとって自然とは木や森だけではなく、目に見えているものすべてが自然なのです。





 

玉神輝美のサイン